集合住宅の「建物」の歴史から賃貸経営を考える

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集合住宅は時代とともに形態を変えてきました。今回は、そのなかでももっとも目に見える部分である「建物」の変遷に注目してみたいと思います。

江戸時代〜明治時代:ロングセラーの集合住宅「長屋」

日本の伝統的な集合住宅として挙げられるのは「長屋」です。木造平屋建ての長屋は江戸時代に都市生活者のための賃貸住宅の主流となりました。

当時は、トイレは共同で風呂は銭湯を利用するため、部屋は一室で、その一部が土間になっているタイプが一般的でした。時代劇などでもよく見られるタイプなので、イメージできる方も多いでしょう。

木造平屋建ての長屋は、明治以降に二階建てのものや各戸にトイレが設置されたものが登場し、現代にも引き継がれるロングセラーの集合住宅様式となりました。

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大正:同潤会アパートの誕生

一方で、大正時代末期にはこうした長屋とは異質の集合住宅様式が登場します。大正12年の関東大震災後に、財団法人同潤会によって建築された鉄筋コンクリート造のアパート「同潤会アパート」です。

財団法人同潤会は、内務省(当時)の外郭団体、つまり政府系の法人として関東大震災の義援金で設立された団体。大震災によって木造の住宅に大きな被害が出たことから、耐久性が高く不燃である鉄筋コンクリート造の住宅を供給し、これが日本最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅となりました。

同潤会アパートは、ガスコンロ、水洗トイレ、ダストシュートなどの最新設備を取り入れた西洋建築風のアパートで、これまでの集合住宅のイメージを一新させる存在でした。

当時の同潤会が手掛けたアパートで現存するものはありませんが、同潤会青山アパートの跡地に建てられたのが、東京の表参道にある現代的な商業施設「表参道ヒルズ」です。

高さも地上3階までに抑えられ、当時のアパートのように直線的な外観を持っている点で、どことなく同潤会アパートの記憶を呼び起こす雰囲気を持っています。建築家の安藤忠雄氏の設計により、同潤会アパートの記憶を最大限活かした建築物に生まれ変わったといえるでしょう。

昭和:戦後の公団住宅

太平洋戦争により焼野原となった東京や大阪などの都市部で規格化された住宅を速やかに供給するための住宅政策として、戦後の公営住宅法(昭和26年制定)にもとづく集合住宅が数多く建設されました。

なかでも「公営住宅51C型」という設計の集合住宅が戦後の集合住宅のモデルとなりました。

「51C型」とは、1951年に計画された公営住宅標準設計のひとつ。標準設計にはA(16坪)、B(14坪)、C(12坪)の3つがあり、51C型は一番小さい型でした。

この狭い空間の中でも「食寝分離(食事をする場所と寝る場所を別々にする)」と「就寝分離(親や異性の兄弟と寝る部屋を別々にする)」を実現できるように、家族共有の食事場所と各人の寝室を持つ構成というのが特徴でした。

これが現在の標準でもあるnLD型、つまりダイニングキッチンと個別の部屋が分離している間取りの先駆けとなっています。

また昭和30年代には、現在の独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)の前身にあたる日本住宅公団が、多くの公団住宅を建設しました。このような公営住宅や公団住宅の登場により2DKという間取りが確立したといわれています。

平成〜現代:高価格帯マンション

公団住宅の事業はUR都市機構に引き継がれるとともに、民間のデベロッパーによるマンション群の建設が増加しました。

高度成長期を経て所得水準も高くなったことに加え、地方から出てきた中流サラリーマン層も都市部で家族を形成することにより、多様な家族構成にも対応する50~100平米のマンションも主流となってきました。

また、賃貸住宅だけでなく、分譲マンションも増え、昭和末期から平成にかけてバブル経済を経験し、「億ション」と呼ばれる高価格帯の分譲マンションも登場しました。

このような高価格帯のマンションや免震構造のタワーマンションも賃貸市場に供給され、特に高所得者向けのレジデンス物件というジャンルを形成しています。

躯体の構造としても、従来の鉄筋コンクリート造(RC)に加え、鉄骨を組み合わせて強度を高めた鉄筋鉄骨コンクリート造(SRC)が高層マンションに適した構造として定着しました。

時代 出来事
江戸時代 一部の町人による賃貸経営。木造平屋建て長屋など。
明治時代 二階建てや各戸にトイレ付きの長屋が登場。
大正12年(1923年)の関東大震災以降 同潤会アパートの登場。
昭和26年(1951年) 戦後の公営住宅法にもとづく公営住宅51C型など。
昭和30年代 日本住宅公団の公団住宅など。
昭和56年(1981年) 建築基準法施行令改正(新耐震基準)
平成21年(2009年) 「長期優良住宅の普及の促進に関する法律」施行

ネーミングも時代によって変わってきた?

同潤会アパートのように「アパートメント(apartment)」を省略した和製英語として「アパート」という名称が一般的になりましたが、時代によって流行の名称が存在します。

例えば、昭和の時代には「○○荘」という名称がよく使用されていました。これは主に下宿施設の名称として定着したものです。

1980年代になると、「○○荘」という名称は古いイメージが強くなったため、「コーポラティブハウス(cooperative house)」に由来する「コーポ」や高原あるいは高台を意味する「ハイツ(heights)」などのカタカナの名称が多く使用されるようになりました。

「マンション」も本来は邸宅などを意味する英語ですが、主として、鉄筋コンクリート造やSRC造で3階建て以上の集合住宅を指すようになりました。その他、フランス語やイタリア語で家を意味する「メゾン」、「カーサ」など英語以外の外国語も登場してきます。

こうしたネーミングの変遷はより新しい印象を与えるためのものであり、新築物件が好まれる日本の国民性にも通じる部分があるといえるでしょう。

耐震基準や優良住宅という考え方について

建物の変遷はライフスタイルの変化や建築資材の変化だけでなく、耐震や耐久性に関する考え方や規制の在り方も反映しています。

耐震性に関しては、建築基準法などにおける耐震基準が大きな地震を経験するごとに強化されてきた経緯があります。特に1981年の耐震基準の改正により、それまでの基準を「旧耐震基準」、それ以降の基準を「新耐震基準」と呼んで区別しています。

耐久性に関しても、長期的に良好な状態を保つことを目的に100年住宅とも呼ばれる「長期優良住宅」の概念が導入され、2009年から関連法令が施行されています。耐震性や省エネルギー性、躯体の劣化対策など長期優良住宅の要求する水準を満たすことで、補助金や税務上の優遇措置が受けられるようになっています。

新築物件を建設し続けるという発想から、耐震性や耐久性があり長く暮らせる集合住宅へ。人口の減少期に入っている日本においては、このような転換が求められているともいえます。

まとめ

時代とともに形や様式を変えてきた「集合住宅」のあり方。

これまでの集合住宅様式の歴史を踏まえて今後のトレンドを予測できれば、これから新築や建て替え、リフォームをする場合にも役立てることができるかもしれません。

特集:「賃貸経営」歴史と変遷

第1回賃貸経営の歴史!経営スタイルはこのように変化してきた
第2回集合住宅の「建物」の歴史から賃貸経営を考える
第3回賃貸住宅の「間取り」の歴史から賃貸マーケットを考える
第4回賃貸住宅の「設備・仕様」の歴史から人気の設備を知る

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