地震による被害を防ぐため、建物は「耐震基準」に従って建築しなければいけません。
耐震基準には、「旧基準」と「新基準」があり、それぞれ求められる条件や目的、そして実際に被災したときの被害状況にも大きな差があります。
耐震基準の歴史
耐震基準とは、建築物が最低限度の耐震能力をもっていることを保証して、建築を許可する基準のことです。あらゆる建築物は、耐震基準に則って設計するよう建築基準法で定められています。
現在の建築基準法の前身である市街地建築物法が施行されたのは1920年(大正9年)。これにより、建物の自重(建物そのものの重さ)と積載荷重(人、家具、設備などの重さ)に対する構造強度の基準が定められました。しかし、この時点では地震に関する規定はされていません。
地震に関する基準が定められたのは1924年です。1923年に発生した関東大震災による被害が甚大で、東京市内(現在の東京区部)の家屋の6割が被災、犠牲者は10万名を超え、耐震への意識の高まりに繋がりました。
市街地建造物法は1950年に廃止となり、新たに建築基準法が施行されました。このときに決められた基準が旧基準と呼ばれています。
その後、十勝沖地震(1968年)、宮城県沖地震(1978年)など数多くの地震を経験し、1981年に建築基準法が改正されました。この際に定められた耐震基準が新基準と呼ばれるものです。
耐震基準の変化は、大地震が起きた後にそれを教訓として厳しくなってきた歴史でもあります。
旧基準と新基準の違い
旧基準の規定は「許容応力度設計において、材料の安全率を3倍とし、地震力は水平震度0.2を要求」というもの。つまり、中程度(震度5程度)で倒壊しないことが条件であり、大規模な地震(震度6~7)に関しては特に規定がありません。
一方の新基準は建物内の人命を守ることを重要視しているため、厳しい基準が定められており、国土交通省で以下のように定義されています。
- 建築物の存続期間中に数度遭遇すべき稀に発生する地震動に対してほとんど損傷が生ずるおそれのないこと。
- 建築物の存在期間中に一度は遭遇することを考慮すべき極めて稀に発生する地震動に対して倒壊・崩壊するおそれのないこと。
これを具体的にわかりやすく表現すると、以下のようになります。
- 震度5程度の中程度の地震:建物の軽微なひび割れに留める。
- 震度6〜7の大規模地震:倒壊しない。
たまに起こる地震でも建物が壊れないようにしつつ、極稀に起こる大地震については、損傷しても構わないので建物内の命は最優先で守るといった、二段階の設計となってるのです。
新基準と旧基準の建物では安全性にどれくらい違いがあるの?
耐震基準の旧・新基準における安全性の違いを、過去の地震被害から検証してみます。
1995年に発生した阪神淡路大震災の被災状況にもとづいてまとめた、国交省『阪神・淡路大震災による建築物等に係る被害』によると、阪神・淡路大震災の犠牲者5,502名のうち88%(4,831名)の方が家屋や家具の倒壊によって亡くなっています。
これに対し、旧基準と新基準で被害状況に大きな差がありました。以下のデータは、建物の被害状況を「軽微・無被害」「中・小破」「大破」の3つに区分して、その割合を算出したものです。
旧基準で建てられた建物の30%が「大破」したのに対し、新基準で建てられた建物では10%以下に留まっています。
一方「軽微・無被害」にとどまった建物の割合にも大きな差があり、旧基準では35%程度、新基準では70%以上となっています。
阪神淡路大震災では特に旧基準の建物に被害が集中し、7割程度の建物が「中・小破」以上の重大なダメージを被りました。新基準による建物がもっと多く普及していれば、より多くの人命が助かっていたかもしれません。
新基準とは人命最優先の設計
阪神淡路大震災当時、特に被害が深刻だった三宮に住んでいたAさんの自宅は、新基準をクリアした新築の戸建住宅でした。
被災にあった当時を振り返り、こう話しています。「地震が起きたのが、家族全員が寝静まっている朝の6時前でした。室内にある家財道具はあちらこちらに散乱し、家全体もひしゃげてしまい結局住めなくなってしまいました。しかしそれでも、家族全員が逃げ出すまで頑張って耐えてくれたあの家に、今でも感謝しています。」
新基準の建物は、「大規模地震にあっても建物が壊れない」というわけではありません。その目的は人命を救うことにあり、言い換えれば「逃げるまでの時間を確保できる建物」ともいえるのです。